毎年、東京都の文京区にある護国寺の本堂で行われる節分祭は、大勢の人で賑わいます。
この長く続いているイベントでは、始まる前に和太鼓のコンサートや歌手によるステージなど、多彩なエンターテイメントが訪れた人々を楽しませています。
イベントのクライマックスでは、鮮やかな装束を身に纏った僧侶たちが特別な儀式を執り行います。
そして、皆が心待ちにしている豆まきの儀式がスタートします。
この儀式には、各界の著名人や相撲力士、歌手などが出席し、彼らの参加によって祭りのムードは一層盛り上がります。
護国寺の節分会豆まき2024時間は?場所など基本情報
午前の時間には、厳かな大般若転読護摩の儀式を行い、地球の調和、国の安定、そして民衆の福祉を祈りつつ、災いの除去と福禄の招来を願います。
午後には、追儺の儀式が実施され、およそ50人の当歳の男女が集い、特設されたステージで福豆をまきます。
この行事には多くの参拝者が訪れ、ステージ周辺は福を分かち合うために集まった人々で溢れかえります。
【開催日】
2024年2月3日(土)
【場所】
護国寺
〒112-0012 東京都文京区大塚5丁目40-1
【時間】
豆まきは例年15:00
護国寺の節分会豆まき2024芸能人ゲストは来るの?
今のところ、2024年の護国寺の節分会豆まき芸能人ゲストはまだ発表がありません。
一応ですが、過去の芸能人ゲストは以下となっています。
和太鼓演奏:Gocco(ゴクウ)ファミリー「タヲ」、福田こうへいさん、水樹なつみさん、ももいろクローバー、丘みどりさん、北川裕二さんなど
護国寺の節分会豆まき2024混雑状況について
毎年、護国寺で行われる節分祭にはだいたい1,500から2,000名の来場者が集まることが知られています。
他の大規模な神社で行われる節分祭が1万人を超える参拝者を迎えるのと比べて、護国寺の節分祭はより静かで隠れた名所とみなされています。
しかしながら、豆まきが行われる際には、多くの人々で境内が満たされ、相変わらずの混雑を見せています。
特に高齢者や子供は、混雑時の事故や怪我に注意が必要です。
護国寺へのアクセス
【場所】
護国寺
〒112-0012 東京都文京区大塚5丁目40-1
【電車】
東京メトロ有楽町線「護国寺駅」下車すぐ
【バス】
JR山手線「池袋駅」より 都営バス「護国寺前」下車
【車】
首都高速五号線「護国寺出口」すぐ
護国寺の駐車場
護国寺には、専用駐車場はありません。近くのコインパーキングを利用することになります。
いくつか紹介します。
【護国寺駅前パーキング】
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目1-8
【タイムズ(大本山)護国寺】
〒112-0012 東京都文京区大塚5丁目40
【タイムズ護国寺前】
〒112-0013 東京都文京区音羽2丁目10-8
護国寺の読み方と正式名称
念のために確認しておきます。
護国寺の読み方は、
ごこくじ
となります。
正式名称は、
神齢山(しんれいざん)悉地院(しっちいん)大聖護国寺
となります。
東京にある護国寺とは?
東京にある護国寺は、1681年2月に創立され、五代目将軍・徳川綱吉の命により、母・桂昌院の願いで始まりました。
上野国(現・群馬県)にある碓氷八幡宮の関連寺院である大聖護国寺の亮賢僧正が開山しました。
この地は、当時幕府が管理していた高田薬園で、ここに寺院の建物が建設されました。
寺院の本尊は、桂昌院が所有していた天然琥珀製の如意輪観世音菩薩像で、寺院には三百石の寺領が与えられ、神齢山悉地院護国寺と命名されました。
翌年、建物は完成しました。明治16年と大正15年には火災に見舞われ、多くの建物を失いましたが、観音堂(本堂)は元禄時代からの姿を保ち続け、月光殿(重要文化財)は桃山時代の建築美を今に伝えています。
また、薬師堂や大師堂、多宝塔、忠霊堂、創建時からあるとされる仁王門や惣門、中門を含む多くの建物が保存または再建されています。
寺院には、元禄文化の精華を集めた書画や什器、国宝、重要文化財など多くの寺宝があります。
東京の都心に位置しながら、二度の大災害に見舞われても江戸の面影を保ち続け、昔も今も訪れる人々に親しまれています。
現在の観音堂は、1697年正月に新築の幕命を受け、約半年余りで完成しました。
その年の8月には落慶供養が行われました。
この建物は元禄時代の建築工芸の粋を集めたもので、その壮大さは都内でも随一とされています。
また、地震や戦災に二度も襲われたにも関わらず、その姿を保ち続け、江戸の面影を伝え、訪れる人々に安らぎを与えています。
天和2年(1682)に護国寺本堂が完成した際、桂昌院の念持仏である唐物天然琥珀の如意輪観世音菩薩が安置され、その後秘仏とされました。
現在安置されているのは、六臂如意輪観世音菩薩像です。
この像は、堀田正虎の母・栄隆院が寄進したとされ、元禄13年10月に完成しました。
この像は六本の手で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つの世界を救うことを象徴しています。
像の名前は、一方の右手に願いを叶える宝珠(如意宝珠)を持ち、もう一方の左手には仏教の教えが絶えず世界に広がることを象徴する輪宝(如意輪)を持つことから来ています。
また、像は右膝を立てて左足の上に乗せ、一方の右手を頬に当てて首を傾け、苦しむ衆生を救う方法を思索する姿勢を示しています。
顔には慈悲深い表情をたたえ、温かいまなざしで衆生を見守っています。